今回は、 スウェーデンハウスがどのようにして生まれたのか。そして はじめてのスウェーデンハウスが 北海道に建てられたとき の事についてお話ししようと思います。
正直、私も初めてスウェーデンハウスの名前を耳にした時、どうしてスウェーデンなのかと疑問に思ったり、本当にどのくらいスウェーデンなのかと疑ったりもしました。
スウェーデンハウスが、なぜスウェーデンと言う国の名前を社名にしたのか。 そして、スウェーデンハウスがどのようにして北海道で生まれたのか、そんな疑問をお持ちのあなたに、今回スウェーデンハウスが誕生したいきさつについてお話ししたいと思います
このブログでは、大手ハウスメーカーと比べても引けを取らないデザインと圧倒的な住宅性能を持ちながら、あまり世間では知られていないスウェーデンハウについて、その魅力を発信します!ぜひ、このブログを読んで、スウェーデンハウスについて知って頂きたいと思います。
スウェーデンハウスは北欧スウェーデンに学び、 北海道・スウェーデンヒルズで生まれた
1945年──戦後日本、復興住宅の最前線
終戦直後、日本の住宅不足は深刻を極めていた。空襲で焼け野原となった東京の街には、人々が身を寄せ合うように暮らしていた。
そんな中、パネル式組み立て住宅を次々と東京の焼け野原に建設していく、そんな木造プレハブメーカーがあった。
北海道の北海製函乾燥株式会社だった。
当時、北海道の炭鉱労務者用住宅500戸を販売し、組み立て住宅生産において全国2位の生産量を誇っていた。

(出典:スウェーデンハウス)
1949年、北海製函乾燥株式会社は住宅の原材料供給の安定化と部材の生産・物流の合理化を図るため、東洋木材企業株式会社に社名を変更した。後にスウェーデンハウスの親会社となる(株)トーモクである。
1964年──北海道・石狩、新たな計画
1964年、北海道石狩地区に、木材コンビナート団地の建設工場が浮上した。(株)トーモクは、この計画の中核を担い、三菱グループと共同で石狩開発(株)を設立した。この時、石狩開発の代表取締役についたのが、手取貞夫だった。後に、スウェーデンハウスの生みの親となる男だった。
1972年、 国と北海道庁が石狩新港と工業団地の建設を計画。 2億円を出資し、第3セクター・石狩開発(株)として再出発した。
工業団地ができれば、人が集まる。人が集まれば、住む場所が必要になる。工業団地建設に伴う従業員の住宅問題を解決するために、ニュータウン計画が持ち上がった。
手取は、新港周辺の土地を調査し、当別町獅子内の丘陵地帯300ヘクタールを候補地にした。ニュータウンは「ゆったりタウン石狩」と名付けられた。
ニュータウンの開発にあたり、手取たちは、「丘陵の自然の地形と谷を埋めつくした豊かな森林を活かすことによって、現在の日本にかけてしまった“人間が人間らしい生活をする場”を将来にわたって確保しよう」という独創的なコンセプトを掲げる。
それに共鳴したのが当時、聖路加看護大学学長の職にあった日野原重明だった。日野原は高齢化社会に対応する街づくり、ニュ ー タウン中心部にメディカルセンタ ー (医療予防施設や医療指導施設)を設置するという構想を練った。
ニュータウン開発を実現するために、メディカルセンター構想を掲げる日野原、札幌医科大学学長だった和田武雄 、トーモク(株)の手取らからなる視察団が編成された。
視察団は、医療先進国でのシステム医療、医療保険制度、老人医療の実態を調査するために、1975年にアメリカ、 1976年末̃からフィンランド、デンマーク、スウェーデンを訪間した。 この視察団による北欧訪問が、スウェーデンハウス誕生のきっかけとなる。
1975年──北欧視察、運命の出会い
手取らが、フィンランドのトゥクルという都市に立ち寄った時のことだった。 トゥクルは、17 世紀にスウェーデンがフィンランドを領有していた時のフインランドの首都であり、その名残からスウェーデン式住宅が多く建ち並んでいた。
手取らは、そこでたまたま建設中のスウェーデン式住宅に出会い、その堅牢さと断熱性能に驚いた。分厚い壁。高気密・高断熱の窓。極寒の冬でも、家の中は穏やかな暖かさに満ちていた。
「このス ウェーデン式住宅が 『ゆったりタウ ン』の1つのシンボルになる。」手取はそう思った。

(出典:スウェーデンハウス)
日本に戻った手取は、 北欧視察の際お世話になった、都倉栄二・元スウェーデン大使に「ゆったりタウン」開発への助言を求めた。
都倉大使は「スウェーデン村」の導入を勧め、 在日スウェーデン大使への仲介役も買つて出た。
さらに、手取は、石狩新港の工業団地にスウェーデン優良企業を誘致するなど、スウェーデンと北海道との幅広い経済交流を目論んだ。
1979年11月「第一回スウェーデン北海道産業文化提携会議」が開催された。
この会議に出席した、スウェーデン国立投資銀行総裁アンネ・カランスが「ゆったりタウン」の候補地を視察した。カランス総裁は、候補地がストックホルム近郊のイメージを持ち合わせていて、スウェーデン村の開発に最適な土地であると評価した。
この時、「スウェーデン村構想」が実現に向けて動き始めた。

(出典:スウェーデンハウス)
1980年──スウェーデン式住宅、北の大地に
「スウェーデン村」の基本設計を行うためにスウェーデン側から派遣されたのは、スウェーデン国内で最も信用がある「ネスウェコンサルタント・グループ」 (NWSSWE) だった。
ネスウェコンサルタント・グループは、3つの開発基本方針を立てた。
① 中心に スウェーデン交流センターを配置し、その周囲に92戸からなるスウェーデンとまったく同じ雰囲気の街づくりを行う。
② 敷地300ヘクタールのうちゴルフ場が2分のl。残りを住宅地として開発するが、その3 分の2は自然のままに残す。
③ ニュータウン中央部に建設される92戸の住宅は、すぺてスウェーデンから輸入する。
宅地開発は、米国での宅地開発経験がある東急建設㈱に決ま った。造成工事の見積りの審査と工事管理に関する助言は三菱地所が請け負った。
1980年、北海道の地に、スウェーデンの職人たちが降り立った。
そして、グリーンヒルカントリークラブ(現スウェーデンヒルズゴルフ倶楽部)の正面に、スウェーデン式の実験住宅2棟が建設された。
北欧の知恵と技術が、日本の地に息づいた瞬間だった。
1984年、「ゆったりタウン」は、現在の「スウェーデンヒルズ」へと改名された。

(出典:スェーデンハウス)
1984年──スウェーデンハウス、誕生
1980年11月、 トーモクは、札幌市でハウジング・プロジェクト創設に向けた会議を開催した。 会議で、住宅事業への本格参入が決定された。
この決定を受け、同年l2月に、新規事業調査委員会が設立された。
調査委員会は、市場調査を三菱総合研究所に依頼した。だが、市場調査の結果は厳しいものだった。
「北海道全体で40棟。札幌では20棟しか売れない。」
住宅の性能が高すぎて、オーバースペックだというのだ。
しかし、報告書を読んだ手取は、静かにそれを丸めるとゴミ箱に投げ捨てた。「 いずれそのような性能が求められる時代が必ずやって来る。」 住宅事業への新規参入を決めた。
手取は、スウ ェーデンハウスの 「生みの親」 となった。
1984年2月、建設大臣一般認定許可を取得し、(株)トーモク、北海製缶(株)及び三菱地所(株)の3社が出資して、スウェーデンハウス(株)1が設立された。
当時から木製サッシ3層ガラス窓を標準装備した住宅は、1999年に制定される、次世代省エネルギー基準をクリアするほどの性能を、すでに先取りしていた。
国土交通省は、2025年4月、 すべての新築住宅に省エネ基準適合を義務づけた。 1980年代、当時はオーバースペックだとされた性能が、今、当然のものとして認められ始めた。やっと、時代がスウェーデンハウスに追いついてきた。
しかし、あの時の手取の決断がなければ、現在のスウェーデンハウスはなかった。

手取貞夫は晩年スウェーデンヒルズに居を構え、静物画や北海道の風景絵を描いた。(手取貞夫・自画像)
現在のスェーデンヒルズ

(出典:スウェーデンハウス)

(出典:スウェーデンハウス)
スウェーデンヒルズは札幌の中心街から車で最短40分、札幌駅から学園都市線を使って約1時間の距離にあります。 札幌近郊でありながら、北欧の自然豊かな住宅地をイメージさせる特別な場所です。
北海道石狩郡当別町にある、石狩湾を望む小高い丘300ha(東京ドーム約64個分)は、半分がゴルフ場として、残りの150haは住宅地として開発されました。さらにその住宅地も、自然地形や樹林の保全を基本方針とし、開発面積150haのうち90haを緑地として残し、宅地利用は60haまでと決められています。
樹木が生育している地帯は木々を残しながら宅地にし、敷地が斜面の場合はひな壇や擁壁はやめ、地形なりの自然法面にしています。

白樺の林の中にスウェーデンハウスが建っている (スウェーデンハウス研究所撮影)

自然な地形を活かした法面 (出典: 一般財団法人 住宅生産振興財団)
宅地はなるべく背割り2を避けて、代わりに公園や緑地を配置しています。隣地や道路とは快適な距離を保ち、境界には柵の代わりに生垣や樹木を配置することで空間を閉じることなく緩やかに区切っています。

樹木で空間を緩やかに区切った境界(スウェーデンハウス研究所撮影)
そして、これらの景観を損なうことがないよう、1980年代当時では、まだほとんど見られなかった電線、電話線の埋没設置による、無電柱化を行っています。 この無電柱化は今も徹底されており、大通りはもちろん、各住宅の全面道路にも電柱、電線は全く見られません。それどころか、住宅への引き込み線すら見えません。

(出典:スウェーデンハウス)
これらの 自然法面で作られたファサードや、自然の樹木で区切られた宅地、 そして、電柱や電線が全くない空間が、 スウェーデンヒルズを自然豊かな北欧らしい景観のある街、そして、日本の住宅地とは全く違った世界にしていると思います。
スウェーデンヒルズについては公式ページ「3分でわかるスウェーデンヒルズ」もご覧ください。
まとめ
札幌から石狩平野に向けて、川を渡ると、石狩湾を見下ろす小高い丘があります。その丘の上に立ち、日本の超高齢化社会の到来を予見しながら、未来の住宅地の風景や住環境に想いを馳せている男がいました。
男は仲間を集め、理想の家を求めて世界を回りました。 そして、男たちが北欧で偶然見つけた家は、頑丈で断熱性にも優れたスウェーデン式住宅でした。スウェーデンには「親の代で家を建て、子の代でサマーハウス(別荘)を、孫の代でボートを。」と言う言葉があります。永く住み続けられる家を建てることで、子や孫により豊かな暮らしを残すことができるのです。そんな暮らしの豊かさの原点となる「世代を超えて住み継ぐ家」こそが、男の求めた理想の家だったのです。
男は北海道に戻り、北欧のような自然に恵まれた住宅の風景を日本にも実現しようと考えました。 豊かな自然に囲まれた住宅地と言う発想は、 北欧の「 自然享受権(しぜんきょうじゅけん)」 に通じます。スウェーデンには「Allemansratten(アッレマンスレッテン)」と呼ばれる自然享受権があり、土地の所有者に損害を与えない限り、誰もが自然の中に入って行って、自由に自然の恩恵を受けることができます。
スウェーデンヒルズは、「現在の日本に欠けてしまった“人間が人間らしい生活をする場”を将来にわたって確保しよう」と言う、一人の男の浪漫から北海道に生まれました。しかし、その男の夢は、現在も、日本中に建てられていくスウェーデンハウスと共に、受け継がれていっているのだと思います。
このブログでは、スウェーデンハウスの生い立ちや大切にしている価値観、そしてスウェーデンハウスだからこそ提案できる暮らし方について発信して行きます。また、そこから広がっていく新しい人生の選択についてもお話ししていきたいと思います。
次回からの記事では、北欧生まれのスウェーデンハウスが、日本の気候風土や自然災害に耐えられるのかと言うことについてお話ししたいと思います。
参照
スウェーデンハウス<公式> 創立40周年記念サイト(https://www.swedenhouse.co.jp/40th_anniversary/history/)
「北欧式輸入住宅事業の創設と展開――スウェーデン ハウス社の事例――」村山費俊 (東北学院大学経済学部准教授)(2008)



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